決める前に、揃えるものがあります
親の家が空き家になったとき、多くの方が最初に「売るか、貸すか、持ち続けるか」を考えます。けれども、この問いにいきなり答えを出そうとすると、たいてい話が止まります。判断に必要な材料が手元にないからです。どの選択肢を選ぶにしても共通して必要になる情報が四つあります。登記の名義、土地の境界、災害リスク、そして公的な価格の手がかりです。
この四つが揃っていると、家族の話し合いが「気持ちの話」から「条件の話」に変わります。売りたくないという気持ちと、維持できるかという現実を、同じテーブルで比べられるようになるからです。逆に、材料がないまま議論すると、誰かの思い入れや誰かの不安だけが大きく見えて、結論が出ないまま年月が過ぎます。
四つのうち三つは、専門家に頼まなくても自分で手をつけられます。費用もほとんどかかりません。遠方に住んでいて現地に通えない方でも、手元でできることが多いのが、この段階の特徴です。順番に見ていきます。
一つ目:登記の名義は、いま誰になっているか
最初に確かめてほしいのが、登記簿上の所有者が誰になっているかです。親の名義のままだと思っていたら祖父の名義だった、という例は決して珍しくありません。名義が古いほど相続人の数が増え、手続にかかる時間も長くなります。登記事項証明書は法務局で取得でき、誰でも請求できます。
ここには期限が関わります。法務省の案内によれば、相続で不動産の所有権を取得した相続人は、相続の開始があったことを知り、かつその不動産の所有権を取得したことを知った日から3年以内に相続登記を申請することが義務付けられており、正当な理由がないのに怠ったときは10万円以下の過料の適用対象とされています。施行日は令和6年4月1日です。
見落とされやすいのが、施行前に開始した相続も対象になるという点です。法務省は、施行日より前に開始した相続によって不動産を取得し相続登記をしていない場合には、令和9年3月31日まで(取得を知った日が令和6年4月以降の場合はその日から3年以内)に相続登記をする必要があるとしています。つまり、売るか貸すかを決められないでいるあいだも、期限のほうは進んでいるということです。方針が固まるのを待たずに、名義の状態だけは先に把握しておいてください。
あわせて、法務省は遺産分割が成立した場合について、成立した日から3年以内にその内容を踏まえた所有権の移転の登記を申請することが義務付けられたとしています。話し合いがまとまった後にも期限があるという意味ですから、分割協議を終えたら登記までを一続きの作業として考えておくと安全です。
二つ目:境界の資料は、何を示すものなのか
土地の境界については、家に残っている図面を探すところから始まります。ここで知っておきたいのが、境界という言葉が二つの意味で使われていることです。横浜地方法務局の説明によれば、筆界とは「法務局に登記されている土地とその隣の土地とを区画する境界」であり、所有権界とは「土地の所有者の方の権利がどこまで及ぶかを示す境界」とされています。そして同じページは「筆界と所有権界とは一致しないこともあります」と明記しています。
この違いは、資料の読み方に直結します。法務局にある公図や地積測量図は筆界に関わる資料で、隣の方と交わした覚書や過去の合意書は所有権界に関わる話であることが多い、という整理ができます。同じ「境界」の書類として一緒くたに扱うと、話が噛み合わなくなります。まずは、出てきた資料がどちらの話をしているのかを分けてみてください。
なお、筆界特定制度という仕組みもあります。横浜地方法務局は、これを「その土地が登記されたときの『筆界』を、公的機関である法務局が、現地において明らかにする制度」と説明しており、新たに筆界を決める制度ではないとしています。この段階でいきなり申請する必要はありませんが、隣地との食い違いが分かったときの選択肢として、頭の片隅に置いておくと安心です。
三つ目:災害リスクを地図で重ねて見る
その家がどんな場所に建っているのかは、売るときも貸すときも、持ち続けるときも効いてきます。国土地理院の案内によれば、国土交通省が運営するハザードマップポータルサイトは「重ねるハザードマップ」と「わがまちハザードマップ」の二つから構成されています。前者は防災情報を全国シームレスに一つの地図上に重ねて表示でき、後者は市区町村が公開している洪水、土砂災害、津波、高潮等の各種ハザードマップを検索できるものです。
重ねるハザードマップで確認できる情報として、同案内は洪水、内水氾濫、高潮、津波等による浸水想定区域と浸水深、土砂災害警戒区域、地形分類、自然災害伝承碑、指定緊急避難場所を挙げています。地形分類や自然災害伝承碑は見落とされがちですが、その土地がもともとどういう場所だったのかを知る手がかりになります。
ここで一つ、慎重に受け取ってほしいことがあります。わがまちハザードマップが扱うのは市区町村が公開している各種ハザードマップですから、掲載の範囲はその公表状況に左右されます。地図に何も表示されないことが、リスクがないことを意味するとは限りません。分かったことを「この土地には危険がない」ではなく「この種類の情報については公表されている範囲でこう出ている」と記録しておくと、後で誰かに説明するときに正確です。
四つ目:価格の手がかりを、公的な場所から拾う
いくらで売れるのかは誰もが気にするところですが、最初から査定を依頼しなくても、公的な情報から手がかりを得ることはできます。国土交通省の不動産情報ライブラリは、同サイトの説明によれば「不動産の取引価格、地価公示等の価格情報や防災情報、都市計画情報、周辺施設情報等」を地図上で確認できるウェブサイトです。実際に取引された価格の情報や、地価公示・都道府県地価調査の価格を、地域を指定して見ることができます。
同じ地図の上で防災情報や都市計画情報も確認できるため、三つ目に挙げた災害リスクの確認と併せて作業できる利点があります。周辺でどのくらいの価格帯の取引があるのかを眺めておくと、後で提示される数字を受け止める土台ができます。
ただし、ここで得られるのは手がかりであって、その家の査定額ではありません。取引価格は個々の事情を含んだ結果ですし、データの更新時点は情報の種別ごとに異なります。まして空き家であれば、建物の状態や残置物の有無が条件を大きく動かします。数字を鵜呑みにせず、「この地域ではこのくらいの取引があった」という程度の理解にとどめておくのが健全です。
遠方に住んでいる場合の、集め方の工夫
遠方に住んでいると、現地に行かないと何も始まらないように感じられます。けれども、ここまで挙げた四つのうち、災害リスクと価格の手がかりは手元の画面で完結します。登記事項証明書も法務局の窓口以外の方法で取得する手段があり、まずは法務局に問い合わせて確認してみてください。
現地でしか分からないのは、建物の状態と、境界標が実際に現地にあるかどうかです。次に帰省する機会があれば、この二つに絞って見てくると効率的です。建物については、屋根と外壁と雨どい、室内の雨漏りの跡、水回りの状態を写真に残しておくと、後で相談するときに言葉で説明する手間が省けます。境界については、角に杭やプレートがあるかどうかを写真に撮っておくだけでも、専門家の判断材料になります。
一度に完璧に揃えようとしないことも大切です。四つのうち一つでも埋まれば、話の解像度は上がります。名義の確認から始めて、次の帰省で現地の写真を足す、というように少しずつ積み上げていく進め方でかまいません。
集めた情報を、どう伝えるか
四つが揃ったら、不動産会社に相談する準備ができています。伝え方にも少しコツがあります。「実家を売りたいのですが、いくらになりますか」と聞くのではなく、名義がどうなっているか、境界の資料が手元にあるかないか、地図で見た限りの災害リスク、そして家の状態を先に伝えてみてください。条件が分かっている相手には、条件に即した答えが返ってきます。
特に名義の状態は、話の進み方を大きく左右します。ここで、契約と登記は別の段階だということを分けて理解しておいてください。売買契約そのものは当事者の合意で成立するもので、相続登記が済んでいないから契約を結べない、と決まっているわけではありません。分かれ目になるのは引渡しのときです。買主へ所有権移転の登記をするには、その前提として、まず相続登記(相続による所有権の移転の登記)で名義を相続人に移しておく必要があります。相続人の名義になっていないまま、亡くなった方から買主へ直接名義を移すという形にはなりません。ですから実務の順番は、相続登記で名義を相続人に移す、そのうえで買主への所有権移転登記を行う、という二段構えになります。
この順番が見えていれば、相続人が複数いる場合や、名義が祖父母の代で止まっている場合に、引渡しの時期をどれくらい先に置けばよいかも見当がつきます。名義の整理にどのくらいかかりそうかを不動産会社と共有しておけば、それを前提にした段取りを一緒に考えてもらえます。隠しても後で必ず分かることですから、最初に開いておくほうが結果的に早いです。
この段階ではまだ、売るか貸すか持ち続けるかを決める必要はありません。決めるための材料を揃えることが目的です。材料が揃ったうえで、それぞれの選択肢に何が必要かを並べて比べる。その順番を守ると、家族のあいだで意見が割れても、何について割れているのかがはっきりします。
相談の前に確かめるチェックリスト
- 法務局で登記事項証明書を取り、いま誰の名義になっているかを確かめる
- 相続の開始と取得を知った日を整理し、3年の期限がいつ来るかを把握する
- 家に残っている図面や覚書が、筆界の資料か所有権界の話かを分けて整理する
- ハザードマップポータルサイトで、浸水想定区域や土砂災害警戒区域を確認する
- 不動産情報ライブラリで、周辺の取引価格や地価公示の水準を眺めておく
- 次の帰省で、建物の状態と現地の境界標の有無を写真に残す



